中国とインドの水の安全保障

中国とインドの水の安全保障
黒田東彦・アジア開発銀行総裁
2010年9月14日、東京

1.はじめに

本日は、「朝日地球環境フォーラム2010」にお招きいただき、ありがとうございます。水問題はアジア開発銀行(ADB)が精力的に取り組んでいる課題であり、また私個人も深い関心を持っている問題ですので、この機会にお話できることを大変喜ばしく思います。本日は、アジア地域における水問題の現状とADBの取り組みについてお話ししたいと思います。

2.アジアの水危機

アジア地域は、水の「危機」に瀕しています。水問題、特に水不足は、中国、インド、パキスタン、ベトナム、カンボジア、バングラデシュ、ネパール、ウズベキスタンなど、多くの国々で深刻になってきており、食糧の安全保障やエネルギー資源、生態系、そして人々の健康や日々の暮らしに影響を及ぼしています。気候変動は、すでに現在アジア各国でみられる洪水などの自然現象にも表れているように、水「危機」の事態をさらに悪化させるものとみられます。こうした問題の影響を最も強く受けるのは、残念ながら、貧困層の人々だと見込まれています。

水不足は、今後ますます深刻になるとみられており、アジア地域全体では、2030年までに、水の需要が供給を40%も上回ると予想されています。水不足に対しては、より効率的に水を利用することと、供給量を増やすことの双方からのアプローチが必要です。また、将来的な水不足に備えるには、これらの取り組みとあわせて、廃水の管理や汚染された河川や湖沼の浄化など、健全な水循環を再生させることに資金を投じていく必要があります。

アジア地域にとってこの水の「危機」はどういう意味をもつのでしょうか。アジア地域では、貧困削減が驚異的な早さで進んだのと時を同じくして、水不足が深刻化してきました。つまり、経済発展の代償を水が負っているのです。

3.食糧、エネルギー、水 - 負の連鎖

食糧・水・エネルギーの連鎖はきわめて重要な問題です。アジア地域の経済発展、特に過去10年間の発展は人々の食生活を大きく変えました。この食生活の変化に応じた食物の生産には、より多くの水が必要となりますが、一方で水の利用効率はいっこうに改善されないため、水不足に更に拍車がかかっています。また、工業用水及び生活用水のための取水、浄化、配水には、大量のエネルギーが必要となります。この食糧と水とエネルギーの連鎖に加え、世界的な農作物価格の高止まりを踏まえると、アジア地域全体において持続可能で公平な水の安全保障を実現するには、関係者による総合的な意思決定がきわめて重要となります。

4.ガバナンスの再構築

ここで少し水のガバナンスについて考えてみましょう。水資源を効率よく管理できていないのであれば、それはガバナンスの失敗であると思います。水の経済的価値、そして、食糧・エネルギー・水の相互関係を充分認識できていないのです。

例えば、上下水道のサービスが、水を経済的な価値のあるものとしてとらえた「ビジネス」として扱われる日が来れば、大きな前進が期待できると考えています。水の利用を水道料金に反映させたことで、水利用の効率化に成功した例がいくつかあります。例えば、カンボジアのプノンペンでは、水道公社が水のロスを72%から6%未満に減らすと同時に、品質の高い水道水を供給して収益を上げています。1997年に民営化されたマニラ・ウォーターも、水のロスを60%超から15%未満に減少させることに成功しています。

先ごろ開催された「Singapore Water Week」では、「抜本的なガバナンスの立て直し」が多くの参加者より指摘されました。私も全く同感であり、ADBも、水のガバナンスに対する支援を推進していきたいと考えています。

5.どの程度のコストがかかるのか

「水の需給ギャップを解消するのにどのくらい費用がかかるのか」という質問をよく頂きますが、これは、各国の状況や、必要な対策によって、大きく変わってくると思います。例えば、インドでは、今後20年間にわたって毎年60億ドル前後の投資が必要と推計されています。一方、中国では25%の需給ギャップに対して、同じく今後20年間にわたり毎年約220億ドルが必要とされています。これらの数字は最低限の費用であり、場合によっては、はるかに多額のコストがかかる可能性もあります。

ここではっきりと言えるのは、これほどの投資規模は政府だけでは対応できない、ということです。民間企業の資金調達能力や経営管理能力、高度な専門技術を活用することが不可欠です。 水「危機」に対処するための資金需要の国際的な高まりを受け、ADBは、「ウォーター・ファイナンシング・プログラム」に基づいて、農村地域や都市部、河川流域のすべての人々に水の安全保障の実現を図る、という取り組みを積極的にすすめてまいりました。2006年から2009年まで過去4年間に承認された水関連プロジェクトの総額は、93億ドルに達しており、およそ1億5,500万人がそのメリットを受ける、と見込んでいます。今後も、都市部の上水道の効率化の促進、灌漑農業の生産性向上、廃水の管理・再利用などによる水質の向上、気候変動の適応策、水資源のガバナンスの向上などを通じて、アジア途上国の支援を続けていく予定です。また、こうした水関連事業を支援するため、ADBと大和証券グループは、本年4月に6億3,800万ドル相当の「ウォーター・ボンド」を初めて発行しました。こうした支援を通じて、ADBはアジア途上国の安定的な発展に寄与する所存です。

6.パートナーシップと協力体制

ADBはまた、関係国・機関のパートナーシップを構築して、域内の経済協力・統合の推進にも取り組んでいます。一例としては、ADBは、インドシナ半島を流れるメコン川流域の下流にある国々が洪水・干ばつへの対応や流域開発などを調整する「メコン川委員会」を支援しています。水資源をより良く共有するため、ADBは積極的に関係国を支援していきます。

7.変革への道

気候変動がこれまで以上に水問題の行方を不透明にしていることは、皆様もご存知のとおりです。それに対応するためには、より効率的に水を配分し使用する、そして、より多くの水の再利用を促進するしかありません。そのためには、先ほど申し上げたとおり、アジア地域は水の無駄使いを減らすとともに、健全な水循環を再生させることに資金を投じる必要があります。例えば、インドの水の需給ギャップを埋めるのに最低限必要なコストの約80%は、農業関連と推定されています。したがって、農業用水の効率化は、その国の水の安全保障を大幅に向上させます。また、エネルギー部門も使用水量を抑制するためには、更に効率性を高める必要があります。水の再利用によって水需要のさらなる増加を抑制できるように、主に民間部門の力を借りて、廃水管理への投資を大幅に増やす必要があります。中国では、家庭廃水の38%しか処理されておらず、処理基準もばらつきがあり、基準が低いこともしばしばです。最も重要なことは、水利用の効率化や総合的な水資源管理の必要性を単なる呼びかけに終わらせず、実行に移す必要があるということです。

8.終わりに

アジア地域は今後10年、水の「危機」に対する思い切った解決策の実施に向けて、迅速かつ機敏に取り組んでいかなければなりません。私たちは、我々自らが引き起こしたこの水危機の深刻さを認め、水が代替のきかない限られた資源であることを認識し、有効な解決策を打ち出す必要があります。また、水問題は一国や一機関だけで解決できるものではなく、総合的な水資源管理を進めるためには、流域の関係国、関係機関による協力が不可欠です。限りある水をよりよく利用する方法を会得しなければ、いつか私たちはすべてを失うかもしれません。水を浪費していた過去を、持続可能な未来へと変えなければならないのです。アジア地域全体が直面している水問題に対し、ADBとしても、全力で取り組んでまいりたいと考えています。

(了)