総裁室シニアアドバイザーの須藤安見子さんに聞く
Inside ADB | 2024年01月31日
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キャリアパス
東京大学法学部卒→三和銀行→ブルームバーグ→米国ウィリアム&メアリー大学ロースクール卒→ホワイト&ケース法律事務所→ADB入行(法務部→現職)
小学生の頃、初めて国際機関に興味を持ちました。ナイチンゲールの伝記に感銘を受け、国際赤十字を目指すことを決意しました。大学では法社会学、雇用差別や労働法について学びましたが、キャリアパスは金融関連に絞られつつも、様々な業界で挑戦してきました。法律事務所ではアセットファイナンスやプロジェクトファイナンス法務に従事し、国際金融公社(IFC)やアジアインフラ投資銀行(AIIB)の案件にも携わりました。ADB入行前に培った経験が、私のキャリアに多様性と幅をもたらしました。各方面での経験は、確実に今の自分の仕事に活かされていると思います。人生はロールプレイングゲーム。修行やジョブチェンジをうまく組み合わせて自分だけの「最適解」にたどり着きましょう。
ADBでの担当業務
入行時は法務部で、民間セクター案件を担当していました。民間セクター業務局(PSOD)や市場開発・官民連携部(OMDP)と一緒にプロジェクトを組成し、各案件のリスクや目的に合わせた法律文書を作成し、借入人や協調融資先などの関係者と交渉を行い、最終的に契約を結び、融資や助言、支援などを実行します。一般企業における社内弁護士と似た業務内容ですが、ADBでは案件の構築・実行の各段階で、女性支援、環境・社会保護、民間セクター育成、公正な移行支援などを織り込みます。ADBの民間セクター案件は、ADB自身にとっての金銭的利益を生み出すことが主目的ではありません。むしろ、我々のプロジェクトが触媒のような存在となり、社会全体に変革をもたらす効果を期待しています。
個別プロジェクト以外の担当業務としては、ADBのセーフガード政策の改定準備に携わりました。ADBはセーフガード政策に基づき、プロジェクトが環境、社会や先住民に及ぼす影響を最小限に抑えて計画・実行されるよう目指しています。今回10年以上ぶりに改定されるセーフガード政策の見直しでは、進化する社会情勢に適応し、新たな形態のADB支援にも対応可能な柔軟性を持たせ、他の国際機関との協調も視野に入れ、さらに効率化も図ります。法務として、実際にはどのように運用されるか、クライアントとの権利関係はどうなるか、法律文書にどのような影響があり得るかなどを念頭にアドバイスしていきます。
現在は法務から離れ、総裁室で事務総局長の補佐官を務めています。上司である事務総局長の役割は、総裁の右腕としてADBのビジョンを具現化させることです。対応する案件は多岐にわたり、理事会とマネージメントの意見調整、改革や業務円滑化の推進、可能性を秘めた初期構想の育成、さらに内外情報発信も後押しします。総裁室は全体を俯瞰できる立場にあり、問題点を先読みしつつ、内外のニーズを総合的に考慮し、組織の方針やビジョンに合わせて調停役となることも重要な職務です。毎日が新しい勉強の始まりで、終わりはありません。
総裁、副総裁、事務総局長にそれぞれ補佐官が付いています。補佐官とは、弁護士以上に黒子のような存在です。舞台裏で折衝し、事前に相互理解を深め、交渉の落としどころを探り、成功に結びついても名前が表に出ることはありません。各補佐官は、お互いの上司の理念に共感し、その実現に向けて共に歩んでいきたいという強い思いから業務に励んでいます。補佐官同士で利害が対立することもありますが、最終的にはアジア・太平洋地域の繁栄という同じ目標に向かっていますので、オフの時には食事をしたり語り明かしたりして親交を深めています。
キャリア・エピソード
ADBで初めての出張はインド東部オリッサ州でした。中小零細企業向け融資会社への出資を検討するために訪れました。以前にもインドを二度訪れたことがありましたが、デリー、ムンバイ、ハイデラバードなどの大都市ばかりだったので、オリッサ州でクライアントの融資先である女性たちを訪問した際に、漸く本当のインドに触れられた気がしました。クライアントの融資返済金の集金に同行した時には、初めての職場で集金に回ったことを思い出し、初心にかえりました。ゆるゆると車を進める中、時折牛に行く手を阻まれながら到達した村では、女性たちが集まって借入金の出入金帳簿を付けている最中でした。我々の作るプロジェクトが、家畜や布を買う資金を女性たちに提供し、家計の担い手となる手助けをしているのです。道中案内をしてくれたクライアントの担当者と、貧困脱却に向けたインドの教育制度についても議論し、刺激的な時間となりました。
山積みにされた契約書の裏には、生身の人間が何人もいます。どれだけ机上で完璧な事業計画を描こうと、現地での実際の運用がどうなっているのかを確認しなければ、絵に描いた餅に終わってしまいます。ADBの支援の受益者は誰なのか、本当に必要なものは何なのか、自分の目と足で調査することの大切さを忘れないようにしたいと思います。仕事で行き詰まったり悩んだりした時は、受益者の真剣で強いまなざしを思い出し、より多くの人に支援の手を差し伸べることを心に誓いました。
SDGsへの取り組み
ADBはアジア・太平洋地域の『気候バンク』として邁進しています。総裁室での初めてのプロジェクトはアジア・太平洋革新気候変動金融ファシリティ(IF-CAP)の組成と立ち上げでした。IF-CAPについてはADBのホームページに説明があるので詳しくはそちらを読んでいただきたいのですが、一言でいえば外部からの保証を活用してADBの融資資力を拡充し、加盟国による包括的な気候変動対応の資金源とする画期的な枠組みです。当初は内外の理解を得ることから始まり、2022年ADB年次総会では気候変動への取り組みに関するパネルディスカッションを通じて道筋を付けました。事務総局長の根気強い後押しのもと、ADBの様々な部署が協力して2023年ADB年次総会での発表に至りました。特に日本は初めて参加を表明したドナー国でもあり、IF-CAPの建て付けを議論した初会合も日本(ADB駐日代表事務所)で開催しました。今後は気候変動以外の分野でも、ドナー国や借り入れ国の官民と協調して変革を進めていきます。ぜひ皆様にもADBと一緒に課題を解決していただきたいです。
仕事のやりがい
国際機関というと、皆さんはどのようなイメージをお持ちでしょうか?遅い、古臭い、厳格な細則に縛られていると思われるかもしれません。私もその点は覚悟していました。しかしそのイメージは誤りです。ADBは2021年から、職員の行動指針としてカルチャー・トランスフォーメーション・イニシアチブを導入し、三つの価値「client-centric(顧客中心)、trustworthy(信頼に足る)、transformational(変革をもたらす)」を軸に業務改革を進めています。
ADBでは様々な研修の機会が提供されていますが、特に印象深い教えは「同じような生い立ちや考え方の人たちが集まり、同じ価値観に基づいて物事を決めていけば、一つの回答にしかたどり着かない。しかし異なる価値観や意見を共有すれば、新たな解決策が見つかるだろう」というものです。アジア・太平洋地域も一括りにできません。それぞれが異なる文化や歴史を持ち、直面している課題は一つ一つ異なります。2023年6月に始動した一連の業務改革は、まさにこの需要に呼応して、多様な人材を抱えるADBの総力をもってクライアントを支援することを目指したものです。
同僚から「僕なら違うやり方をしたかもしれないが、そうだね、君たちの考える方向でやってみよう」とスタッフの意見を支持するよう努めていると言われたことがあります。私の上司もまた「何度却下されても意見具申はやめないでほしい」と言い続けています。違いを尊重し、失敗を恐れず次の機会を狙うことを奨励し、部下を信頼して新しいことに挑むことを後押ししてくれるーそんなADBで、直接的に間接的に笑顔を生み出していくチームの一員であることが、私のやりがいです。
求められるスキルや経験
国際開発金融機関であるADBは、実行力、知識、専門性、英語力が前提条件ですが、一人で成し遂げられる仕事は一つもありません。アジアに根付く銀行として、「早く行きたければ、一人で進め。遠くまで行きたければ、みんなで進め」(if you want to go fast, go alone; if you want to go far, go together)が重視される行風です。優れたアイデアやスキルを持っていても、相手に理解され、協力して成功に導かなければ成果を上げることは難しいのです。自分の考えを一方的に押し付けるのではなく、相手の状況を理解し、柔軟に対応する力が肝要です。
またADBで国際職員として採用されるためには、「複数国での国際的な実務経験」が必要です。一緒に働きたいと思っていらっしゃる方は、どんな小さな機会でも利用して海外で働いてみることをお勧めします。
プライベート
コロナ禍で移動・経済制限措置が取られたマニラに残った時は、同僚が始めたボランティア活動に参加することで自分自身が救われました。貧困地区で発生した火災後に残された四人の孤児に対し、各方面から寄付を募り、生活、教育、居住面で支援する活動を、地元の慈善団体と協力して実現しました。家計簿をつけろと助言しても続かなかったり、家庭教師に勉強をみてもらっても脱走したり、姉弟妹のために建てた家に恋人を連れ込んだりと、思い通りに進むことばかりではありませんでしたが、回り道もまさに開発支援。最終的には予想以上に善意の資金が集まったおかげで、貧困地区の子供たちの憩いの場になればと、小さな図書館も建設できました。隔離されていても、資金・手段が限られていても、子供には教育を受けさせたいという地元の皆さんの熱意に脱帽です。図書館で学んだ子らの中から、多様な形のサクセスストーリーが生まれることを願っています。