情報技術局デジタルソリューション課長の山本直人さんに聞く

Inside ADB | 2020年11月05日

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キャリアパス

慶應義塾大学文学部卒→コロンビア大学大学院(公共経営修士)→国連開発計画(ペルー、ジャマイカ、ホンジュラス、ニューヨーク)→国際連合プロジェクトサービス機関(コペンハーゲン)→国連開発計画(ニューヨーク)→ADB入行

1980年代のアフリカの飢餓。痩せこけた子供達の報道写真を目にするうちに、生まれた場所が違うだけで人の命に大きな差ができてしまう不公平な世界をなんとか変えたいと思うようになったのが私の開発との最初の接点でした。そんな漠然とした気持ちを抱きながらコロンビア大学国際公共政策大学院に留学し、夏休みのインターンシップには開発の現場をこの目で確かめたいという思いから、環境保護団体を通してブラジルにあるゴム採取人の協同組合で働くことにしました。そこは飛行機で行けるアマゾン上流の町からさらに船で5日遡ったジャングルの中の小さな集落で、川の水を飲み、虫に刺されながら、組織運営などできることは何でもお手伝いしました。このような体験を踏まえ、将来、開発の現場で仕事をすることを志すようになりました。卒業後は、国連開発計画(UNDP)にJPOとして派遣されたのを皮切りに、中南米やカリブ諸国で教育や災害への緊急支援、そしてITを活用した業務効率化を図る仕事を手掛けるようになりました。今日まで30年近く、開発途上国が抱える様々な課題の解決に向けた業務に携わることができ、仕事にやりがいを感じています。

キャリアエピソード

1994年にUNDPペルー事務所にJPOとして赴任した際には、教育改革や国内避難民の帰還を支援するプロジェクトなどの担当をしていました。当時のペル―は、80年代に実施されていた輸入代替工業化政策による影響がまだ色濃く残っており、国際金融市場からの孤立に加え、反政府ゲリラによる活動がまだ目に見えた時期でした。友人を家に招いて食事をしていた時のことでした。花火の音が聞こえ、窓から外を覗こうとした私の行動とは対照的に、その友人はとっさに床にはいつくばって爆発から身を守ろうとしたことを思い出します。当時はまだ、自動車を使った爆弾事件などが散発していた頃でした。

ジャマイカ事務所では、カリブ海諸国における地方自治体強化に係るプロジェクトの立案に携わった他、小規模の地域インフラ整備などを手掛けました。1998年には、中米諸国を襲って甚大な被害をもたらしたハリケーンミッチの復興支援プログラムの立案と実施のため、ホンジュラス事務所に急遽赴任することになりました。瓦礫除去、仮設住宅の設営、そして地方自治体による災害復興事業の支援を行い、非日常から日常を取り戻す難しさに向き合うことになりました。その後、同事務所の駐在副代表として、相手国政府のニーズや援助効果を高める上での課題に取り組みました。開発計画に沿った切れ目ないサービスを提供するために求められた組織戦略を手掛けるうちに、他の国際機関との連携や協力、そして知見を共有していくことの大切さを痛感しました。

組織として生産性を高め、業務の効率化を図ることは、管理コストの削減だけでなく、サービスや関係者のモチベーションの向上にも影響を与えます。ホンジュラスでの経験を踏まえてこのような問題意識を持つようになっていた私は、UNDPが事業の効率化を図るために新たな経営管理統合I Tシステム(ERP)の導入を検討していると聞き、直ちにそのポストに応募しました。これを機に私の仕事は開発の現場からテクノロジーを活用した組織強化の仕事へと方向転換しました。

UNDPでの新たなチャレンジのため、勇んでニューヨークに戻ってきたのは良かったものの、赴任当初は、システムインテグレーターの言っていることがまったく分からず困ったのを覚えています。それから1年半で、この新しいシステムは世界各国を跨ぐ160を超えるUNDPの国別事務所などに導入されました。

この仕事が一段落した頃、当時ニューヨークに本部があった国際連合プロジェクトサービス機関(UNOPS)が本部移転を伴う基幹業務の刷新とシステムの近代化を進めていたので、次はUNOPSで新たに設置されたビジネスプロセス・リエンジニアリングチームを率いて、コペンハーゲンでシステム系の仕事を続けることになりました。ADBには2018年に入行し、今となっては私の方が現場で仕事をしている同僚たちに分からない話し方をしてしまい、お叱りを受ける立場となってしまいました。

ADBでの担当業務

情報技術局は、ADB のシステム開発とその運用を担うとともに、デジタル技術を活用した知見の共有や共同作業を加速させるイノベーションを推し進めています。また、2018年には、2030年に向けての ADBの長期事業戦略「ストラテジ−2030」の実施をサポートするために「デジタルアジェンダ2030」を採択し、ADB のデジタルトランスフォーメーション(DX)を推進する役割を担っています。ADBのデジタル変革によって、業務や管理のあらゆる側面に関するデータへのリアルタイムのアクセスの向上を図るとともに、ADBの幅広いナレッジ成果物やサービスの創出、そして、パートナーやステークホルダーがそうした成果物やサービスをすぐに利用できるためのデジタル・プラットフォームの構築を行っています。

現在、私たちが特に力を入れているのは、データの信頼性の確保およびその利活用による意思決定のスピードの向上と高度化を図ることです。データインフラを含む技術の近代化によって、アジア・太平洋地域を中心に世界中で活動するスタッフが効果的に業務に取り組めるよう、いかにその環境を整えていくか日々考えています。

また、ADBの基幹業務であるソブリン融資と技術協力の取り組みをサポートするためのシステム刷新のプロジェクトも推し進めています。個々のスタッフが使用している案件形成や実施管理のツールそのものを新しいシステムに変え、それを他のシステムに繋げて情報を連動させるなど、より使いやすいシステム環境を提供できればと思っています。

仕事のやりがい

組織の垣根を跨いであらゆる部局と仕事をしていると、リモートモニタリングを活用したプロジェクトや財務会計ソフトについて、また、法務部が行う文書管理に関する問い合わせなど、毎日、様々な相談を受けます。そういった個別の課題を解決していくと、必然的に組織に必要とされるシステムの全体像が見えてくるようになります。ADBの業務活動、調査や研究、政策対話、そして能力開発の取り組みによって得られた知見を、部局の垣根を越えて共有できるシステムの基盤づくりに、これから取り組むことができたらと思っています。

さらに踏み込んで言えば、そういった知見を多様な情報伝達手段やデジタル技術を利用して内外に広めていくとともに、相手国政府のニーズに寄り添ったかたちで、IOTやモビリティー、人工知能、ドローンやサテライトなどの先端技術をADBのオペレーションに導入し、ADBならではのサービスを提案できればと思っています。

また、非効率なシステムを設計したり、システムの不具合が生じたりした場合は、スタッフの仕事に直接影響するだけでなく、さらにその先のカウンターパートやパートナーが頼りにしているプロジェクトにも影響を及ぼしかねません。毎日、直接的にも間接的にも結果が見える仕事は緊張感を有しますが、充実感も同時に味わえます。

SDGsへの取り組み

ADBの長期事業戦略「ストラテジ−2030」は貧困やジェンダー、気候変動や都市づくり、農村開発などの7つの優先課題を中心に、SDGsの達成に寄与することを掲げています。デジタル技術の積極的な導入によるADBの業務効率化を通して、SDGsに貢献できればと思っています。また、日常の業務でコピー用紙などの使用量を削減しています。昨年行われたADBの年次総会では、配布書類の電子化により、その前に行われた総会と比べて、紙の使用を8割削減できました。最近では新型コロナウイルスの影響でADBでもテレワークが常態となり、案件の承認がペーパーレス化されました。

求められるスキルや経験

国際機関で働く姿勢として私が大切に思うのは、仕事は頼まれてやるのではなく、自らが進んで切り開いていくといった姿勢です。頼まれたからやりましたではなく、これがいいと思うので一緒にやりましょうと提案でき、相手も巻き込んでいける力はとても大事なことです。確かに、顧客の話に耳を傾けるのは非常に重要だし、上司の期待に沿うことも必要です。しかし、言われたことをそのまま遂行するだけでは不十分です。分からないことは周りの人々から教えてもらい、理解できたものを自分で考えて解決策を提案していかないと、顧客に対しての価値の提供は低いものと思います。また、カウンターパートや同僚に対して敬意をもって接することも重要です。北米や中南米、カリブ海諸国、ヨーロッパやアジアと、文化の異なる地域で仕事をしてきて思うのは、言語や表現方法、ジェスチャーなどはそれぞれ違うものの、敬意を持って人と接していれば、その思いは相手に必ず伝わるということです。また、私はこれができますという専門分野や、開発の仕事に興味と情熱と持っていることも重要です。ADBの基幹業務であるオペレーションに携わる仕事でも、私のような裏方の仕事であっても、その思いがあれば国際機関で働く上で、ある程度の手ごたえや満足感が得られると思います。

プライベート

私は昔から人の世話をすることや裏方の仕事をするのが好きでした。表舞台で演技するよりも、黒子として見えないところでちょっと技術的なことをやりながら表舞台を支えることにやりがいを感じます。高校では演劇グループの音響を担当していました。役者さんの刀を交える効果音を出したりして、役者を引き立たせ、お客を楽しませるのが好きでした。大学でも、バンドの音響役を積極的に引き受けたりしていました。大きな会場ではバンドの腕はもちろん大事ですが、音響がへまをすると舞台が台無しになるので、裏方としても立派な役割があります。音楽は世界共通の言語です。私は、ギターやボーカルではなく、ベースやパーカッションをやります。なくてはならない目立たないもの、そんなものが性に合います。今でも時間があればDJをしたり、リミックスを作ったりします。最近は、DJがステージのど真ん中でパフォーマンスをすることも当たり前な時代ですが、裏方の仕事が好きな私としては、暗いブースで黙々と仕事をしているDJの方がさまになると思います。マニラの音楽シーンも熱いものがあります!

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