中央・西アジア局人間社会開発課首席教育専門官の田島英介さんに聞く

Inside ADB | 2022年3月2日

キャリアパス

慶応義塾大学商学部卒→外資系金融機関(バークレイズ銀行→ドイツ銀行)→サセックス大学大学院修了→国連教育科学文化機関(ユネスコ)パリ本部教育局→ベトナムハノイ事務所→ADB入行(東アジア局→南アジア局→東アジア局→現職)

長崎で生まれ育ち、その土地柄からか、幼い頃から国際平和や国際協力という分野に興味を持つようになりました。将来は、国際的な仕事に携わりたいと思い、大学卒業後は、外資系の金融機関に就職しました。モニターに囲まれた銀行のディーリングルームで売買を繰り返し、数字で結果を出し続ける仕事に醍醐味を感じていたものの、30歳を目前にして、そのような毎日に疑問を抱くようになりました。以前から関心があった国際協力の仕事に携わりたいと強く思うようになったのもこの頃でした。何より現場を自分の目で見て確かめたかったので、マイクロファイナンスで有名なグラミン銀行で短期ボランティアを始めました。住み込みをしていたバングラデシュのクミラという村で、あるNGOが実施していた識字教室を何気ない気持ちで覗きにいったところ、過酷な環境下であっても生徒らは励ましあって勉強に励み、教員はその気持ちに寄り添い懸命に支援する姿を垣間見ることができました。識字教室は、読み書きを修得したいという生徒の切実な思いで満ちており、生きる力を育む上で教育がどれだけ大切なのかを目の当たりにしました。開発を仕事にするなら、教育セクターの支援に携わりたいと決心したのはその時でした。その後、専門性を身につけるために大学院に進学し、ユネスコでの勤務を経て、今に至ります。

ADBでの担当業務

ADBに入行して以来14年間、東アジア局や南アジア局、中央・西アジア局での勤務を通じて、一貫して教育セクターを担当してきました。各国の国別パートナーシップ戦略に沿った貸付案件や無償資金協力、技術協力に係る案件の立案から、その実施に携わってきました。ADBは、アジアの成長を促進する観点から、人的資本への投資が不可欠だと考えており、その国のニーズにあった将来を見据えた支援を行っています。ADBの域内加盟国が低所得国から中所得国に移行するなかで、資金だけではなく、知識や戦略的なアドバイスの提供を通じた支援が求められる他、その国にはまだない、開発効果を高めるための新たなアプローチを考案し、実行しています。

現在、ウズベキスタンでは、教育案件に係る面白い取り組みを行っています。同国政府は、2030年までにイノベーションを創出するための世界競争ランキングで世界のトップ50の仲間入りをすることを当面の目標として掲げています。その実現に向けて、人材育成面で多面的な取り組みを行う必要があり、ADBは教育省と共に中等教育に STEM教育を導入するためのプロジェクトを立案しています。STEM教育とはScience(科学)、Technology(技術)、Engineering(工学)、Math(数学)の4つの教科の教育に力を注ぎ、第4次産業革命をリードするための、国際競争力を持った人材を多く生み出すことを目的とした21世紀型教育モデルです。学生がIT技術を使い、グループワークなどを通じて、主体的に学ぶ力や問題解決能力、質問喚起力、創造力、コミュニケーション力を育成するのが狙いです。カリキュラムや教師の育成、教材や機材をどうするか、また、産学官連携などを視野にウズベキスタンにとっての最適なモデルをつくるべく日々取り組んでいます。

キャリア・エピソード

コロナ禍以前は、海外出張(ミッション)を頻繁に行なっており、長いミッションは2週間におよぶこともありました。ミッション中はやることが山積みで、政府高官との政策対話や、担当者レベルの役人とあーだこーだ言いながら夜遅く迄プロジェクトの詳細を詰めたりします。また、支援する学校の学生や教師、コミュニティの関係者とのコンサルテーションなども行います。教育セクターはドナーとの協調や連携がたいへん大事なセクターですので、各ドナーとの協議も行います。ミッションの最後には、覚書(MOU)を相手国政府と交わし、政府の代表者のサインをもらってきます。私がADBに入行した2008年の頃は、大事なミッションでは、上司から「政府からMOUにサインをもらうまでは、絶対マニラに戻ってくるな!」とプレッシャーをかけられました。相手国のニーズを第一に考慮しながら、MOUにサインをもらう為にネゴを重ね、マニラに戻るために心は泣きながら必死に仕事をしました。今では、ADBはこのように厳しくはありませんが。。

ミッションで忘れられない出来事の一つとして、ネパールの首都カトマンズの郊外にある大学建設予定地を視察した帰りに、車が故障した時のことが思い浮かびます。夕方5時頃にも関わらず、辺りは既に真っ暗で、山中の道なき道を進んでいた時にそれは起こりました。日本では考えられないでしょうが、「山賊が現れるかもしれない!絶対車から出るな!」と同乗していた政府担当者に言われ、迎えの車が来るまで5時間立ち往生をしなければなりませんでした。その担当者の方とはこの経験を酒の肴にしてよく飲みました。また、バングラデシュでは、ちょっと頑張りすぎたせいか、血圧が200近くまであがり、夜ホテルで倒れてしまいました。救急車でダッカの病院に運ばれ、ICUに1週間ほど入院しました。ネパールでもバングラデシュでもADBのレジデントミッション(現地事務所)と政府の迅速な助けにより、危機は免れました。政府のカウンターパートや現地事務所長、担当者の方には本当に頭があがりません。

また、学校訪問や視察などは、ミッションの最大の楽しみです。教員や生徒の生の声を聞ける他、少人数のグループディスカッションや1対1のインタビューを通じて調査を行います。その内容をプロジェクトに上手く反映するために、滞在先のホテルでは、政府のカウンターパートやコンサルタントチームと、喧々諤々の議論を行います。さらに、プロジェクトの承認を行う理事会では、ミッションで出会った彼らの顔や声、また、熱い議論を思い出しながら、「絶対この案件を通すぞ!」と強い思いで臨みます。コロナが一日でも早く終息し、国際的な人の往来が安全に再開できることを願いながら、また現場に足を運べる日が訪れることを心待ちにしています。

SDGsへの取り組み

SDGsの4番目の目標は、「すべての人に包摂的かつ公正な質の高い教育を確保し、生涯学習の機会を促進する」ことです。教育セクターにおける目標は、その他にも貧困削減(SDG1)やジェンダー平等の実現(SDG5)、経済成長と雇用(SDG8)とも強く関連しています。MDGsでは、初等教育の就学率の向上が目標でしたが、SDGsでは就学率だけではなく、教育の質の向上を図る取り組みも重要になります。また、SDGsは初等教育に加え、中等教育、技術訓練教育や高等教育、更には、生涯教育や職業教育システムの普及など、包括的な取り組みを後押ししています。ADBは、各ドナーと協調して政府を支援するだけではなく、産学共同や官民連携(PPP)を通じた取り組みを強化しています。あるレポートによると、コロナの影響により、アジア太平洋地域での非就学児童の数は1億3千3百万人(4%増)になり、幼児教育から中等教育でドロップアウトするリスクのある児童数は670万人に及ぶとも言われています。このような状況で、SDG4の公正な質の高い教育の確保は急務です。

仕事のやりがい

教育セクターのプロジェクトの本当の効果は20〜30年後に分かるものだと、前職のユネスコの先輩によく言われていました。私が担当している国が、20〜30年後にどうなっているかを楽しみにして、わくわくしながら仕事に取り組んでいます。教育セクターの仕事を通じて「人づくり」や「国づくり」に微力ながらも貢献できることが醍醐味です。

小さいながらプロジェクトレベルでもやりがいが沢山あります。例えば、モンゴルのプロジェクトでは、中学校に暖房設備を導入しました。ご存じのとおり、モンゴルの冬はマイナス30度にもなるくらいでとても寒いです。数年後その学校を視察した際、「冬でも学校に行くのが毎日楽しみです!」と生徒から声を掛けられました。実際にデータでも冬の間の出席率が向上していたのが確認できて嬉しかったです。バングラデシュでは、理数科のカリキュラムを改定した他、教員研修などの実施や理科実験室を整備し、実験機材の導入などを行いました。数年後、その学校の理数科目の全国共通試験の結果が改善されました。ADBのプロジェクトの受益者である若い世代が、その国の社会や経済発展を担う人材に育っていくことを楽しみにしています。

求めらるスキルや経験

多様なバックグランドを持つ職員がADBには多くおり、特定の分野における専門性がとても大事になります。プロジェクトを担当する職員は、何十年もその道を極めてきた政府高官と政策レベルの話をしなければなりませんし、専門家であるコンサルタントチームの仕事を精査するにも、そのセクターにおける知識や経験は不可欠です。チームで動くことが多いので、コミュニケーション能力やチームワークはとても大事になります。また、書類の作成や地道な対話の積み重ねなど、地味にみえる仕事が主ですので、忍耐力は必要だと考えます。また、アジアの発展に伴い、その国にはないイノベーションをプロジェクトの中で落とし込めるような、分析力を持ちバイタリティに溢れる職員が求められていると感じています。

プライベート

定年まで10年近くありますが、何か新しい趣味を始めたいと思い、数年前から三味線を習いはじめました。マニラでは三味線を教えてくれる先生がいないため、日本へ一時帰国する度に、師匠に稽古をつけてもらっています。師匠のお手本や稽古の様子を携帯電話で録音し、マニラでひたすら自主練をしています。亀のような遅い進歩ですが、仕事のことを忘れて、楽譜と向き合い、バチで音をならし、少しずつ上達していくのを楽しんでいます。この1年はコロナ禍でマニラの自宅で在宅勤務をしながら、4歳の子供の育児に妻と翻弄されており、自主練が全くできていません。モチベーションをあげて、今年はきちんと練習する予定です。