フィリピン、マニラ(2020年1月15日) —堅実な経済政策と強い制度が、この50年の間にアジア・太平洋地域を世界のダイナミックな発展の中心地へと発展させた - アジア開発銀行(ADB)は本日刊行した『アジア開発史-政策・市場・技術発展の50年を振り返る-(Asia’s Journey to Prosperity: Policy, Market, and Technology over 50 Years)』の中でこう述べている。本書はまた、アジアの経済的成功の理由を説明するとともに、アジアは「自己満足に陥ることはできない」と述べている。
『アジア開発史』の英文デジタル版は、本日よりADBの公式ウェブサイトに掲載されており、2020年4月に書籍として刊行される。ADBでは、本書に先行し、ADB自体の歴史に関する『アジアはいかに発展したか -アジア開発銀行がともに歩んだ50年-(Banking on the Future of Asia and the Pacific: 50 Years of the Asian Development Bank)』を2017年に英語で、2018年には日本語版を勁草書房から出版したが、本書の日本語版も勁草書房から2020年末をめどに刊行する予定だ。
アジア開発途上国の世界のGDPに占めるシェアは、1960年の4%から2018年には24%へと拡大した。地域の先進国である日本、オーストラリア、ニュージーランドを含めた場合は13%から34%へと拡大している。同じ期間に、アジア開発途上国の1人当たりGDP(2010年価格)は、330ドルから4,903ドルへと15倍に増加し、その結果、所得の底上げによって何億人もの人々が貧困から脱した。
「1966年にアジア開発銀行が創設されたとき、アジア・太平洋地域は非常に貧しかった。アジアの産業化と開発一般についての見方は悲観的であった。しかしながら、過去50年の地域のパフォーマンスは、経済成長、産業構造の転換、貧困削減、保健や教育の改善など、いずれの指標で見ても予想をはるかに上回るものだ」と中尾武彦ADB総裁は「まえがき」(別添1)で述べている。
本書は、アジアの経済発展の道筋に他の地域と異なるような特別な発展モデル、つまり「アジア・コンセンサス」のようなものがあったわけではないと指摘している。アジア各国が行ってきた政策は、いずれも標準的な経済理論で説明できるものであり、いわゆる「ワシントン・コンセンサス」が処方する政策ともあまり変わりはない。現在の多くの先進国と同様の方法で、発展してきたと言える。重要な点は、アジア各国が実践的なアプローチを用いてきたという点である。輸入の自由化、外国からの直接投資への国内の開放、金融セクターの規制緩和、資本移動の自由化などの政策を、特定の条件を満たした後に段階を踏む形で行ってきた。
過去半世紀にわたり、多くのアジアの国では「人口の配当」を受け取ることができ、急速な技術進歩やグローバリゼーション、先進国の開放的な貿易・投資体制の恩恵を受けてきた。しかしながら、有利な人口動態や対外環境があっても経済成長が自動的に進むわけではない。
アジアの戦後の経済的成功は、基本的に、効果的な政策と強い制度(政府の組織、経済体制、法的枠組みなど)によってもたらされたものである。政策を選択するにあたっての政府のプラグマティズム、自国や他国の成功や失敗の経験から学ぶ能力、改革を導入する際の決断力にも助けられた。多くの国で、明確な国の将来像を先見力のあるリーダーが提唱し、それを社会の多くの階層が共有し、有能な官僚層が支えたことも広範囲にわたる成長に寄与し、他の地域との違いをもたらした。
この50年の間に、国ごとに政策の組み合わせやタイミングなどの違いはあったものの、成功したアジアの国々は、①開放的な貿易投資政策を採用し、②農業の近代化と産業構造の転換を促進し、③技術進歩を支援し、④教育や保健に投資をし、⑤高いレベルの国内貯蓄を動員して生産的な投資を行い、⑥インフラを整備し、⑦健全なマクロ経済政策を追求し、⑧貧困削減と格差是正のための政策を実施してきた。
ただ、本書では、アジアは自己満足に陥るべきではなく、21世紀を「アジアの世紀」と称するのも時期尚早だと戒めている。根強く残る貧困、拡大する所得格差、大きなジェンダーギャップ、環境の悪化、気候変動など、アジアの途上国にはまだまだ多くの課題が残されている。保健医療や教育、電気、安全な飲料水などの普及もまだ十分とは言えない。中尾氏は、「欧米が過去5世紀にわたって発揮してきたのと同様の影響力を持つようになるには、まだしばらくの時間が必要だろう」と指摘している。アジアは、その制度をさらに強化し、科学や技術の発展にさらに貢献し、国際的な課題に取り組むうえでの責任をさらに果たし、自分たちの考え方をさらにしっかりと伝えていく、という努力を今後も続けていかなければならない。
本書は、中尾氏と経済調査・地域協力局の幹部を中心に、多様なスタッフからなるADBのチームが3年の歳月をかけて編纂した。世界銀行が1993年に刊行した、よく知られている『東アジアの奇跡』報告書と比べた場合、日本や新興工業経済地域(NIEs:韓国、シンガポール、香港、台湾)、いくつかの東南アジア諸国だけでなく、46のADBの開発途上加盟国・地域(ADBからの借入卒業国であるNIEsを含む)のすべてをカバーし、その急速な変遷をより幅広い観点から取り上げている。期間としても、戦争直後から現代にいたるまでの長期間をカバーし、中国やインドシナ諸国、中央アジア諸国における中央計画経済から市場志向改革への転換を詳細に論じている。また、本書を書くにあたっては、各章の記述をできるだけ読みやすく、興味深いものにすることを心掛け、多様なエピソード、データ、各国の事例を盛り込んでいる。
本書は以下の15の章で構成されている(別添2)。第1章:50年の開発の概観、第2章:市場・国家と制度の役割、第3章:産業構造の転換、第4章:農業の近代化と農村開発、第5章:成長の原動力としての技術進歩、第6章:教育・保健と人口動態、第7章:投資・貯蓄・金融、第8章:インフラ開発、第9章:貿易・外国直接投資・経済開放、第10章:マクロ経済安定化の取り組み、第11章:貧困削減と所得分配、第12章:ジェンダーと開発、第13章:環境の持続可能性と気候変動、第14章:多国間・二国間開発資金の貢献、第15章:アジアにおける地域協力・統合。第1章は、本書の要約の役割を果たしている。いくつかの章について、ADBのプロジェクトを担当する専門スタッフが執筆に携わったことも本書の特徴である。
ADBは、極度の貧困の撲滅に努めるとともに、豊かでインクルーシブ、災害等のショックに強靭で持続可能なアジア・太平洋地域の実現に向け取り組んでいる。ADBは1966年に創立され、49の域内加盟国・地域を含め68の加盟国・地域によって構成されている。