フィリピン・マニラ(2021年12月30日)元アジア開発銀行(ADB)総裁の藤岡眞佐夫氏が12月27日に死去した。享年97歳。
藤岡氏は1981年から1989年までADB総裁を務め、ADBの歴史上でも大きく変容し拡大した時期に指揮を執り、ADB業務の幅広い調整や協調融資の拡大、そして民間企業への出資業務などを推し進めた。
急速に変化する不安定な国際経済情勢の中で、藤岡氏のリーダーシップの下、ADBの年間融資承認額は1981年の17億ドルから1988年には32億ドルとほぼ倍増し、実行額(ディスバースメント)でも6億6,700万ドルから16億5,000万ドルとほぼ3倍になった。
藤岡氏の在任中の大きな功績として、1986年に中国がADBに加盟し、またインドへの初めての融資が承認された。藤岡氏の下で、ADBの最も貧しく、脆弱な国々に対して譲許的支援を提供するアジア開発基金への増資が行われ、日本特別基金が創設された。藤岡氏はまた1983年には第3次一般増資を取りまとめ、その結果ADBの授権資本は105%増加した。
浅川雅嗣総裁は、「ADB、そして藤岡氏を知り、共に働いた人々にとってとても悲しい出来事であり、謹んでお悔やみ申し上げたい。長きにわたる任期において藤岡氏が成し遂げた業績は、アジア・太平洋地域におけるADBのプレゼンスを大いに高めることとなった。私たちは藤岡氏の先見性とリーダーシップにたいへん感謝している」と語った。
藤岡氏のADBとの関わりは、ADBの創立にさかのぼる。1960年に大蔵省(現財務省)から国際通貨基金に出向、また、1966年には、バンコクにある国連アジア極東経済委員会(ECAFE)に転じ、ADB創設に関わった。その後、ADBの初代総務局長に就任し、2年半務めた。
藤岡氏は東京大学を卒業後、30年以上に渡り、財務省(旧大蔵省)で勤務した。海外経済協力基金を経て、1970年代の大半を同省で勤務し、国際金融局長などを歴任した。世界銀行とADBの臨時総務代理、日本輸出入銀行および国際協力機構の理事も務めた。
ADB退任後は、日本格付研究所社長を務めた。
藤岡氏のご家族によると、藤岡氏は老衰のため死去。
ADBは、極度の貧困の撲滅に努めるとともに、豊かでインクルーシブ、気候変動や災害等のショックに強靭で持続可能なアジア・太平洋地域の実現に向け取り組んでいる。ADBは1966年に創立され、49の域内加盟国・地域を含め68の加盟国・地域によって構成されている。